石橋正雄の「生き方上手じゃないけれど」

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zoom RSS 高橋和巳 「我が心は石にあらず」

<<   作成日時 : 2005/07/19 00:22   >>

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 たった今、「我が心は石にあらず」を読み終えた。
 最初に言ってしまおう。
 この小説は傑作である。重厚な文学作品を求めておられる方には、是非ともお勧めしたい。

 と書いてはみたものの、私はこの作品を、あくまで「小説作品」として優れている、と捉えていることを強調しておきたい。
 この作品の何より素晴らしいところは、情景描写に優れている点である。前回読んだ「悲の器」とはうって変わって、文章表現が非常に豊かになっている。そのビビッドな描写に触れるだけでも、この作品を読む意義は十分にあると思う。
 ストーリーの構成も素晴らしい。「悲の器」ではストーリーの時間軸がかなり錯綜しているため、読みながら混乱することがままあった。「我が心は石にあらず」では、オーソドックスな小説スタイルに従って、時間の流れは基本的に一方向となっている。非常に穏やかな出だしに始まり、ストーリーが進むに従って徐々に高まって行く緊張感に、読者はきっと圧倒されることだろう。
 文体も「悲の器」よりかなり読みやすく、難解で意味不明な表現は少ない。しかし、書いている内容はやはり重厚であるため、さっさとページを繰るようには読めないだろう。現に私も、この小説をなかなか読み終えることが出来なかった。

 私が思うに、この作品は発表当時と今とでは、読まれ方がかなり違ってくるだろう。「我が心は石にあらず」が雑誌「自由」に連載されたのは、昭和三十九年十二月から四十一年六月である。今からもう40年も前に書かれた作品だ。
 作品が発表されてからの40年間、その間に起こった日本社会の変化、そして世界の変化は余りにも大きい。その40年間という時間は言うなれば、第2次世界大戦後間もない頃に理想とされた思想なりパラダイムなり社会構造なりについて、その実効性が検証された期間でもあった。そしてその検証結果は、恐らく40年前の想像を遥かに上回るであろう無慈悲なものであった。

 急激な高度経済成長、それに伴う一億総中流化、浅間山荘事件を最後に葬り去られた左翼運動、夥しいまでの消費社会の到来、異常なまでのバブル景気―――
 そしてバブル崩壊と共に始まった平成不況、日本全国に吹き荒れたリストラの嵐、それと共に当然視されるようになった雇用の流動化、年功序列制の崩壊、能力給の導入―――
 40年前に比べると、日本人の多くは経済的にとても恵まれるようになった。その一方深刻な不況を経験したことで、特定の会社にしがみつこうとするよりも、いつでも転職できるようにスキルアップすることが理想とされるようになった。そして、裸一貫から出発しても、大きな成功を収める起業家が数多く現れるようになった。
 このように今の日本社会では、特定組織や社会制度に過度に依存しなくとも、一人一人が自律的に経済活動を行いうるようになったのである。共産主義などを導入するよりも、遥かに人々が幸福な生活を送ることが出来るということが、歴史的に証明されたのだ。
 そのため、今の日本人の多くが、40年前に書かれたこの「我が心は石にあらず」を読むと、恐らくこう思うことだろう。
「何バカなことやってんの?無駄じゃない、そんなことしても」

 この小説は、とある地方都市で一人のエリートが理想を掲げて戦いを挑み、そして敗北に終わるまでを記した作品である。
 貧しい家庭に生まれた信藤誠は、地元の商工会議所の奨学金を頼りに、東京の高等学校、そして大学に通った。その間、学徒出陣に出たこともあったが、戦死することなく帰ってきた。大学を出た信藤誠は、奨学金の返済を免れるべく、地元の有力企業、宮崎精密機械に就職し、技術者となった。宮崎精密機械の社長、宮崎伝次郎は地元の名士であり、例の奨学金を設立した中心人物でもあった。また、宮崎伝次郎の息子であり副社長でもある宮崎久志は、信藤誠の大学の同窓生でもあった。
 信藤誠のように、奨学金をもらって大学に行き、地元企業に戻って就職した連中は「銅の会」というグループを組織し、地元ではエリートとして手厚い待遇を受けていた。そして信藤誠は、同じく銅の会のメンバーとして入ってきた年下の女性、久米洋子と知り合い、付き合うようになった。しかし、信藤誠は既に結婚しており、二人の子供がいたのである。そう、久米洋子との間は不倫の仲だったのである。
 信藤誠は、地元企業の労働組合の連絡協議会において、委員長を務めていた。そして各企業の過酷な労働に苦しむ従業員たちを説得し、組合を組織させることに協力すると共に、各企業の組合活動を支援していた。その連絡協議会の活動に、久米洋子も参加していたのである。
 久米洋子は次第に信藤誠を本気で愛するようになってしまった。理性を重んじるエリートらしくない、感情まる出しの姿をみせるようになった久米洋子に、信藤誠は戸惑いを覚えるようになった。その上なんと、久米洋子は信藤誠の子を身篭ってしまったのである。久米洋子はそれまで住んでいた寮を引き払い、信藤誠の前から姿を消してしまった。
 折からやって来た不況の影響を受けて、久米洋子が勤める日新紡績が一時帰休を行うようになった。宮崎精密機械においても、宮崎伝次郎の死後社長を次いだ宮崎久志が、大胆な経営合理化(リストラ)を決断した。
 信藤誠はこれらの地元企業のリストラ策に強く反発し、経営者と戦うよう組合に強く呼び掛けた。組合員たちも最初は経営者に反発し、戦う姿勢を見せていた。しかし、企業側が提示した数々の手口に誘われ、組合員たちは次第に戦う意欲を失っていった。それどころか、吉住正男という人物が出て来て、信藤誠のやり方を批判する勢力を作るようになった。住吉は、自由な連合を歌いながらも独裁的に組合を動かしている信藤を批判すると共に、企業との協調路線を歩む方が労働者にとって望ましいと提案した。
 この住吉正男の言葉に対して、信藤誠はこう答えてしまったのである。

 自由連合とは、(中略)労働者の利益を守る団体としての各個別組合が、労働者の道義を守るものとして互いに誓約しあって協議会が形成されたものだ。誓約は、喜びをともに享受すると同時に、(中略)ひとしく苦しみを分ちあう精神によって成り立つ。(中略)人間には道徳というものがあり、精神というものがある。かつて資本主義の担い手となった商人たち、職人たちにすら、精神があった。(中略)それあればゆえにこそ、(中略)旧支配層の地盤を、目には見えずつきくずすことができたのだ。金の力だけではない、自由と平等という精神の闘いにも彼らは勝ったのだ。(中略)
 そして最後に、いや何よりも自由連合の理念が何だったかを、もう一度批判派の人々にも思い出していただきたい。一つの権力を他の権力でとってかわるのではなく、権力を必要とする人間精神、人間の組織のあり方そのものを根本から改変しようとしていたのだということを。(本文より)/td>

 この現実離れした理想を掲げる信藤誠の言葉に、完全に激怒した住吉正男は、彼を中心とした連中によって第二組合を組織した。それに加えて、銅の会のメンバーであった共産党員の浅沼士朗が、共産党の指示を受け、賛同者を集めて離脱してしまった。こうして組合のメンバーはバラバラとなってしまい、企業との闘争は次第に弱体化していった。しかもこの組合活動の崩壊には、信藤誠を中傷する怪文書を送りつけるなど、久米洋子も陰で加担していたのであった―――

 人間は何よりも自らの生活を望む。自分の生活を維持するためには、確固たる権力の庇護に自分の身を置こうとする。互いに自由を尊重しながら連携を図るなどというのは、非常に脆弱な組織形態だ。そんな組織に、自分たちを守ってくれる力など、どうして期待できよう。まして、自らを犠牲にしてもその組織のために戦おう思わせるには、誰しもが共感しうる強烈なイデオロギーを掲げるか、宗教を掲げることでもしない限り、到底無理な話である。
 先ほど挙げた信藤誠の言葉は、高橋和巳の思想の核心をなすものであろう。「我が心は石にあらず」に書かれていた多くの言葉は私も非常に納得できるものが多かったが、この部分だけはさすがに頂けなかった。人間精神の根本的な改変―――進歩的な人間からすれば、これは非常に耳障りのいい言葉かもしれない。しかしこれは無茶な夢想というものだ。人間は所詮動物である。人間が人間を超えるなどというのは、理想であっても現実には到底無理であろう。言うなれば、人間の奢りである。
 ダーウィンの進化論、ワットがもたらした産業革命、ルソーの思想がもたらしたフランス革命、マルクスとレーニンの思想がもたらしたロシア革命―――こういった一連の出来事から、「人間が動物から脱却して文明を築き上げたように、人間は人間自身を超越し、さらなる進化を遂げることができる」と錯覚してしまったのだろう。それが進歩的思想を掲げてきた人間たちの、最大かつ根本的な誤謬だと私は思う。
 信藤誠自身もそのことに気が付いたのだろう。ストーリーの最後になって、生活できること自体が幸福であることを、身をもって実感している。

 この作品は、無謀な組合活動に身を投じる信藤誠を、勝利が見込めない戦争に身を投じていた頃の信藤誠とダブらせる、と言う読み方も出来よう。高橋和巳も明らかにそれを狙っており、信藤誠に随所で軍歌を歌わせたり、戦争の記憶を蘇らせたりしている。
 そう思えば、自ら神風を吹かせることが日本を守ることになると信じて敵艦に突撃した特攻隊も、中央権力の破壊が国民を救うことになると信じてゲバ棒を振り回していた新左翼も、思想を妄信して捨て身になっていた点では同じである。皮肉にも、大した結果をもたらさなかったという点でも一致しているが。

 なお、現在日本での労働組合の組織率は20%にも満たないことを付け加えさせて頂こう。これは当然の結果だと思う。組合に身を投じて会社に反発するよりも、上司に一目置かれて出世した方が、確実に生活の向上が図れるというものだ。労働階級と資本階級の対立図式を前提とした労働組合という組織は、階級移動が比較的簡単になしうる現代社会では、根本的な欠陥を抱えていると言っていいだろう。結局のところ組合という組織は、経営者の横暴に対する、ある程度の抑止効果しか期待できないように思える。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%B4%E5%83%8D%E7%B5%84%E5%90%88

 最後に、組合活動に敗れた信藤誠の言葉を掲げて、今回の記事を締め括ろう。いつまで経っても自分たちの否を認めようとしない奇形左翼の残党たちよ、あなた方が信奉していた高橋和巳先生は、こうおっしゃっていたのだ。

 ―――私は今回、自分が指揮者であり当事者であることによって、もし何々であったらという仮定に慰めを求めることはできなかった。私は完膚なきまでに敗北したのであり、そして実現はしなかったゆえに、私の理想も希求も、無意味だったのだ。私自身が自殺するつもりはない以上、くやしさや悲哀は、今後も長くそれを背負って歩かねばならないが、事実の感情や自己正当化の欲望によって事件を粉飾することはすまいと思う。それが自分を鞭打ち、無理に無理を重ねてとった行動から得た、わずかな認識であり代償である。(本文より)


【入手情報】
 新潮文庫版は絶版だが、中古本は比較的出回っていると思う。時にはワゴンセールなどで100円程度で売られていることもある。
 河出文庫「高橋和巳文庫コレクション」としても出版されており、こちらは現在でも書店で入手可能である。


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