森敦 「月山」 ――― 第70回(昭和48年)芥川賞受賞作品

 「月山」を読み終えた。
 私は唸ってしまった。
 深い。
 一言で言うなら、これが私の感想だ。

 森敦はこの「月山」を芥川賞史上最高齢の61歳11カ月で受賞した。なぜこのような高齢になってから芥川賞を受賞することになったのか。この辺りの経緯は、最近出版された森富子氏の「森敦との対話」で明らかにされている。下記のサイトには本の内容が概略的に記されているが、この内容は、「月山」を読み解く上で大きなヒントになっている。
http://www.sanspo.com/shakai/book/20041203read.html

 まずこの作品を読む上で必要となるのが、山形県の地図である。なぜなら、この作品には山形県の地名が到るところに現れる。中には、一見して地名なのかどうか分からない名称もある。「これは地名だろうか?」と思ったなら、すかさず地図を見てチェックすることをお勧めする。特に、冒頭部分が重要だ。ここで作品に出てくる主要な地名があらかた登場するので、地図を見て位置関係を把握しておくとよいだろう。私はこの作業を怠って読み流してしまったがために、後になってからかなり苦労することになった。
 また、この作品では山形県の方言が頻発する。これは知らない人にとってはかなり理解しづらい。なんとなく理解できればよい、と割り切って読むしかなかろう。主要な単語は括弧書きで意味を示してくれているが、作品の後の方になると意味を示してくれていない。ちゃんと理解しながら読みたいと思う方は、単語とその意味をメモしながら読むしか無いだろう(さすがに私はそこまでしなかったが)。

 さてこの「月山」という話。一言で言うなら、「わたし」が月山のふもとにある注連寺という寺に居候して冬を越すという話である。その間数々のエピソードに遭遇するが、基本的にはただそれだけの話である。ぼんやりしながら読んでいると、何の起伏も無いまま読み終わってしまった、ということになりそうである。
 なぜそうなってしまうのだろうか。実はこの作品、肝心の重要なことを敢えてハッキリ書かず、寧ろ隠しながら、表面的なことを描写してゆく、というスタイルを取っているのだ。そして、表面的なことを描写して行くその折々で、「隠している重要なこと」をちらっちらっと垣間見せるのだ。
 ここで思い当たることがある。それは、森敦が横光利一に師事していたことだ。横光利一は川端康成と並んで「新感覚派」と呼ばれた作家である。「新感覚派」とは何か。名付け親である千葉亀雄によれば、それは「暗示と象徴によつて、内部人生全面の存在と意義をわざと小さな穴からのぞかせるやうな、微妙な態度の芸術」である。
 この「新感覚派」の作風を、森敦は見事なまでに踏襲している。いや、ある意味では横光利一や川端康成を超えているかもしれない。二人とも「連想法」と言うべき手法(ある事物を見た登場人物が、そこからどんなイメージを連想したかを描く、という手法。その事物と連想とは一見なんの脈絡も無さそうだが、実は深層部において関連性を有している)を用いているが、どこか不自然なところがあることは否めない。その点、この「月山」では、その連想法がより洗練されて用いられている。

 さて、この作品を私なりに解釈すると、これは森敦が自ら生まれ変わろうとするその姿を描いた作品である。
 この作品では、月山を「死者の行くあの世の山」として描いている。即ち、現世とは隔離された異世界として、月山を、そして「山ふところ」にある七五三掛(しめかけ)という部落を捉えているのである。実際冬を迎えることで、この山中の地は雪や吹雪や霧により、下界と遮断されてしまうのだ。
 そして、「わたし」はその異世界の中で数々の奇妙な体験をする。その中でも最たるものが、冬になってこの地にやって来た押売りたちが、吹雪の中で行き倒れになってしまうと、その死体をミイラにして観光の呼び物にする、という風習である(実際、注連寺では即身仏で有名な寺である)。
http://www.nipponrentacar.co.jp/freeroad/yamagata3.htm
 森敦は月山を舞台として何を描こうとしたのか。それは、「文明から全てを遮断された世界では、人間のどのような側面が現れてくるのか」、ということである。それは言うなれば「獣の世界」「人間味の無い世界」「死の世界」である。
 寺のじさまが食べ物として作るのは、大根を切って入れた味噌汁のみ。その大根を、「千本」「賽ノ目」「扇」に切り分けることくらいが人間らしい工夫である。だがそんなじさまも、「たとえ、千本にしても、賽ノ目に刻んでも、扇に切っても、大根はおなじ大根だもんだしの」とまで言い出すのである。食べ物を口に入れさえすればよい、そういう境地なのである。
 おそらく、「わたし」は世の中から完全に隔絶された世界に身を置きたかったのであろう(鴨長明の「方丈記」を思い出して頂きたい。作品中に、住職を意味する言葉として「方丈」という呼び名が使われているが、実はこれが作品を読み解くヒントだったのだ)。しかし、「わたし」はこの世界に惹かれて入ってきたはずなのに、「わたしにはすべてが空しく、冬の果てしなさが耐えがたくなって来ました」と感じるようになってしまった。
 やがて春が訪れると、「わたし」は徐々にこの月山から離れようと思い始める。そこに「わたし」の友人がやって来た。この友人は(恐らく)政治家であり、月山の近辺を観光地として整備しようと考えてこの地にやって来たのだ。「わたし」は友人と共にこの地を去ることになる。しかし「わたし」は次のように考えるのだ。

 (中略)わたしにはもう十王峠から俯瞰する庄内平野が、ひょうびょうとして開けて来るのです。(中略)十王峠は幽明の境のように言われ、じじつそんなところと聞かされていたせいか、そこを越え戻ろうとするまさにこの世であるべきそうした眺めが、かえってこの世ならぬもののように浮かんでくるのですが(本文より)


 「わたし」は文明に対してあまり良い印象を持っていないようである。だがしかし、文明から隔離された地にいても、「わたし」は空しさを感じずにはいられなかった。そして、もはや文明から隔離された月山のような地は無くなってゆく運命にあるのだ。だとすれば、文明のある地で生きてゆくほかはあるまい―――

 森敦は、旧一高時代に菊池寛に認められたにも拘らず、名作を書かなければならないプレッシャーに押されて、彼は一作も書くことなく何十年も諸国を放浪した。
 だが、いつまでも逃げていてばかりの森敦を、森富子氏は叱咤激励した。そうして書かれたのが、この「月山」なのである。
 「月山」は、還暦を過ぎた森敦が、自分の人生の再出発の思いを込めて書いた作品なのだろう。私はそう考えている。

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