石橋正雄の「生き方上手じゃないけれど」

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zoom RSS 大きな目標を持つこと

<<   作成日時 : 2006/11/02 22:03   >>

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 昨年の10月、ブログの更新を一旦休止したが、その後なんとか再開を果たした。それがちょうど一年前のことである。それからのエントリの本数はなんと6本。何とも少なすぎる本数である。
 こうなってしまった理由は、ひとえに他のことで忙しかったからである。即ち、趣味の一環として文章を書く暇がなかったからだ。
 ではいったい何が理由で忙しかったのかというと、曖昧な言い方で申し訳ないが、「今後の人生の土台作り」のためである。
 即ち、少しでも多くの時間をその「土台作り」に費やしたい、というのが今の私の正直な心境なのである。
 実を言うと、昨年の10月にブログの更新を休止した理由(実は8月頃からかなり更新ペースが落ちていたのだが)も、この「土台作り」のためだったのだ。

 幸いにして、この「土台」とやらは、今のところ順調に築かれつつある。概ね目標の半分程度は達成できたと見積もっている。
 今の私は、「あとの残り半分を、少しでも早く作り上げてしまいたい」という気持ちでいっぱいなのだ。この「残り半分」の土台であるが、私の希望としてはあと3年以内には作り上げてしまいたいと考えている。遅くとも5年以内にはなんとかしたいと思っている。
 従って、あと3年から5年くらいは、このブログの更新ペースは非常に遅いものになると思う。
もしこのブログを非常に楽しみにしてご覧になって下さっている方がいらっしゃれば、誠に申し訳ないけれども、このような事情である旨、何卒ご理解をお願い申し上げたい。

 先ほど私は「土台作りの半分程度は達成できた」という旨のことを書いたが、実を言うとこの時点で、人生の目標を多少見失っていたのである。というのも、今でこそ「半分」などと言っているが、当初はそれが最も達成すべき目標であり、当面のゴールであったのだ。それが達成できたのであるから、「何をしてよいのか分からない」という、多少「燃え尽き症候群」に近いような心境に陥っていたのだ。
 さらに言うなら、その「当面のゴール」を達成した後も、やるべきことは自分なりに用意していたのだが、それに今ひとつ専心できない気分に駆られていたのである。

 それが、だ。
 先日、私はとある大きな目標を見出した。これこそ、私が目指すべきものではないか。私はこれをするために生まれてきたのではないか。心底そう思えるような目標を見出したのである。
 しかも、その目標を目指すためには、今まで私がやってきた成果を活かせばよい、ということが分かったのである。即ち、その目標を達成するための「土台」は、今半分くらいまで出来上がっている上に、さらに今やっていることも、その土台作りに大いに寄与するものだったのである。
 正確に言うなら、「作り上げるべき土台の形がハッキリと見えた」ということだろう。今の作りかけの土台を、あとこの程度まで作りこみを行えば、その上に乗ってジャンプすることで、目標となる「果実」を手にすることが出来るかもしれない。そういう「土台」の形が、ハッキリと見えたのである。

 もちろん、ジャンプして「果実」を手に出来るかどうかは分からない。こればかりは運のなせる業であり、私自身にはどうにもならないことである。
 しかし、取るべき「果実」が何か、その「果実」を取るために、どのような土台を築けばよいかが、ハッキリと分かるか否かでは、人生における意気込みに大きな違いが出るのではないだろうか。
 「果実」が何か、「土台」の形が何か、ハッキリ分かった今の私は、たいへん大きな精神のエネルギーを感じている。そして、その「土台作り」にいそしむことに対して、たいへんな充実を感じているのである。

 大きな目標を持つこと。これが生きるエネルギーをいかに生み出すかということを、改めて感じた次第である。


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