石橋正雄の「生き方上手じゃないけれど」

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<<   作成日時 : 2005/12/04 01:31   >>

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 私が小説を読む主な目的は、メンタルヒーリングにある。
 平日に酷使した頭脳を休め、張りつめた心を和らげるために、小説を読んでいる。
 そのため、私が好む小説は、穏やかさや美しさに満ちたものが多い。
 しかしそのことに気付かされたのは、ほんの最近のことだ。

 何度かこのブログでお話したように、私は小説を文庫本で読んでいる。読んでいる途中で小休止すると、よく巻末にある文庫本のリストをパラパラと眺めている。かつての新潮文庫の巻末には、その当時刊行されていた新潮文庫のラインナップが全てリストアップされていたのだ(後年には一部のみが抜粋されるようになったが)。
 そこにリストアップされている小説作品の中には、私がかつて読んだものも少なからずある。
 しかしこうして改めてリストを読み返してみると、意外なことを発見した。
 当時リアルタイムで読んだ時、大いに感動したりショックを受けたりしたものよりも、何気ない感想で終わった作品の方に、なぜか心が惹かれてしまうのである。
 歳を取ったせいなのだろうか。ストーリーの起伏やインパクトよりも、作品全体に穏やかさが漂うような文学作品の方に、心が惹かれてしまうのだ。
 今回はそんな文学作品をご紹介しようと思う。

●夏目漱石 「彼岸過迄」
 数々の名作を世に送った漱石ではあるが、この「彼岸過迄」は相対的にそれほど良い評価を得ていない。「吾輩は猫である」や「坊っちゃん」ほどのユーモアも無く、「こころ」や「それから」のようなシリアスさも無い。主人公の敬太郎が首を突っ込んだ話が、淡々と続くだけの話なのである。
 この作品の冒頭に漱石の前書きが書かれているが、これほど自信とやる気のない漱石の言葉は初めてであった。彼岸過ぎまで連載するからという理由だけでタイトルを付けた話や、この作品を書くに当たっての試みが上手くいくかどうか分からない、といったようなことが書かれているのだ。「おいおい、漱石センセイ、大丈夫か?」と心配しながら読み始めたものだ。やはりそういう先入観があると宜しくないもので、読みながらこの小説がチャチに思えて仕方なかった。
 しかし、漱石作品のラインナップを眺めてみると、もう一度読み返してみたい作品はどうしてもこれになってしまうのである。他の作品は、色んな意味で読み返すのが辛い。それよりも、この作品の持つ淡々とした雰囲気に、私はもう一度触れてみたいと思わずにはいられないのである。

●川端康成 「山の音」
 川端作品はそこそこ読んだ方だと思うが、殆どの作品は読み終えた後にモヤモヤした感じがしてならない。「何だったんだこの話は?」と妙な気がしてならないのである。
 ところがこの作品の読後感は、それほどモヤモヤしたものではなかった。確かそのように記憶している。しかしだ。「あれ?この話、どんな話だったっけ?」―――読んだのはたかだか一年前なのに、もうストーリーを忘れてしまっている。覚えているのは、主人公の尾形信吾が、通勤のために今で言う(恐らく)横須賀線に乗っていたことくらいである。
 川端康成は、ストーリー自体よりも作品の雰囲気を作り出すことに力点を置いていたように思える。その点、この「山の音」に漂っていた雰囲気はなかなか良かったと思う。そのことだけは記憶している。

●谷崎潤一郎 「蓼喰う虫」
 谷崎作品も結構読んだと自負しているが、もう一度読み返してみたい作品はとなると、なぜかこれを選ばずにはいられない。自分でも不思議だ。「痴人の愛」や「吉野葛」の方が、かなり好印象のまま読み終えたはずなのに・・・。
 この「蓼喰う虫」も、ストーリーがあるのか無いのか良く分からない作品である。妙にぼんやりとしたストーリーが淡々と続く小説である。ただ忘れられないのは、お久の美しさであろう。もちろん小説であるから、お久がどのような姿であるかは知る由も無いが、文面からは彼女の大和撫子の美が感じられてならない。このお久に惹かれない男性はいないと言っても、決して過言ではなかろう。

 今回はひとまずここまでにしよう。
 もしご興味があれば、ぜひ紐解いて頂きたい。ちなみに、いずれの作品も新潮文庫にて現在も刊行されている。

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