石橋正雄の「生き方上手じゃないけれど」

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zoom RSS 最近の純文学について ―――ブログ再開のお知らせに代えて

<<   作成日時 : 2005/11/03 23:25   >>

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 長らくお待たせしておりました。
 本日からブログの更新を再開しようと思います。
 今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

 このブログは8月下旬あたりから急速に更新のテンポが鈍っていたのであるが、その間もコンスタントにアクセスを頂いていた。さらにブログ更新のお休みをさせて頂いたにも係わらず、昨日に到るまで一定のアクセスを頂いていた。誠に嬉しい限りです。本当に有難うございます。
 アクセスレポートを拝見させて頂いた結果、このブログにいらした方の多くが、文学関係の言葉をキーワードにしておられた。やはりこのブログは文学が主体となるのかな、と改めて思った。というのも、このブログを読んでいる方の多くはご存知の通り、最近は世相絡みの記事を数多くアップしていたからである。私自身も、最近は文学のことより、現代世相の方に関心が大きく傾いていた。特に最近の世相の動きは実にダイナミズムに溢れているように思えてならないのだ。
 という訳で、当初は世相についての記事を書くつもりであったが、まずは再開第一弾ということで、文学について綴ってゆくことにする。

 読書の秋という季節柄を狙っているのであろうか、文学賞の発表は秋になされるものが多いようだ。中でも話題になったのが、弱冠中学三年生にして文藝賞を受賞した、三並夏さんの「平成マシンガンズ」である。
 私はこの「平成マシンガンズ」を書店でパラパラと立ち読みしてみたのであるが、確かに中学三年生とは思えないような文体である。私が中学三年の時、いくら物書きが好きであったとは言え、こんな文章が書けたとはとても思えない。
 だが多くの方が感じておられるように、思春期前後は女子の方が男子よりも精神的な成長が早いのだ。女子の方が身体の発育と共に大人になる自分を感じやすくなっているように思う。一方男子の方はといえば、身体が発育しても精神的にはなかなか成熟しづらいもので、中学生になっても精神的には小学生と大して変わりはしないと思う。男子の精神的な成長が始まるのは、高校生とか大学生くらいになってからであろう。
 とは言うものの、「平成マシンガンズ」を最初数ページほど読んだ感じでは、やはりエピゴーネンの域を出ていないのではないか、という気がした。というのも、その文体が同じく年少にして文藝賞を受賞した綿矢りさと近似していたからである。しかも、小説の舞台が学校であり、主人公が生徒という設定も、「インストール」などと変わりがない。まあ、まだまだ人生経験の乏しい中学生や高校生では、自分と同じ境遇の世界を、小説の題材とせざるを得ないのであろうが。
 ここまでは単なる外見の話でしかないのだが、問題は書いている内容だ。自分の抱いているモヤモヤとした気分や情緒を、とらえどころの無い文体で描き、虚構性を演出しようとしている。三並さんにせよ綿矢氏にせよ、このようなスタンスで小説を書いている。いや、これが今や純文学全体の主流ではないかと思われる。この辺りの先鞭を打ったのが、村上春樹であり、高橋源一郎であり、島田雅彦であろう。現に彼等は純文学界のリーダー的存在となっている。特に高橋氏と島田氏は、メジャーな文芸誌の殆どに毎月のように執筆をしているのではないだろうか。
 高橋氏も島田氏も、悪い作家ではないと思う。しかし、今の文芸雑誌をパラパラ見た感じでは、彼等のようなスタイルこそが純文学であり、それ以外のスタイルは受け付けない、といった風潮が余りにも強く感じられる。そう思うのは、私だけだろうか。
 私が読みたい、書きたいと思っている文学のスタイルは、今の純文学の権威達の基準からすれば、純文学などではなく、中間小説に当たるようだ。彼等に言わせれば、とらまえどころのない、フワフワとした感覚を、摩訶不思議な文体で描き、インパクトのあるタイトルを付ければ、それが純文学になる、と言わんばかりだ。
 最近よく言われるようになったのが、純文学のサブカルチャー化である。「既成の概念を打ち破るような、新しいスタイルの文学作品」―――それが、『文學界』や『文藝』や『群像』や『すばる』の求めるような純文学なのだろう。そこには、既存の文学の伝統や様式を尊重しようという意識は殆ど無いように思う。そういった、既存の概念を打ち破ること自体が素晴らしいのだ、と言わんばかりのスタンスである。こういった風潮が始まったのは、恐らく石原慎太郎の「太陽の季節」からであろうか。いやもう少し遡れば、坂口安吾の「堕落論」からかもしれない。純文学界は、戦後になってからずっとそのようなスタンスを取り続けて来たように思えてならない。もちろん、その過程で現れてきた文学作品に疑問を呈するような文学者も大勢いた。しかし彼等はなし崩し的に、古い頭の持ち主として片付けられてきたように思う。
 そして今だ。今の文学賞の選考者には、既存の文学の伝統や様式を守ろうなどという考え方の持ち主は殆どいないと思う。寧ろ、「古いスタイルなんかメチャメチャに壊してやれー!ブッ飛んだインパクトのある小説を書いてくれー!」と声を大にしそうな連中ばかりである。
 その結果、今の純文学の新人の多くは、そういう支離滅裂さやインパクトで勝負するようになってきたと思う。今日までの長い歴史の中で読み継がれて来た文学作品に対するリスペクトなど、殆ど感じられない。これでは純文学がサブカルチャー化していると言われても仕方なかろう。金原ひとみの「蛇にピアス」がメインカルチャーたる文学作品だと誰が言えるのだろうか?本人ですらそれを認めていないというのに。彼女の作品を祭りたてるような連中の方がどうかしていると思う。
 戦後六十年も経って、戦後民主主義や進歩的思想にようやく懐疑的な眼が向けられるようになって来たが、純文学界にもそれが言えるのではないだろうか。もうこの辺りで、既存のスタイルを打破するスタンス自体を良しとする、左翼的な発想は止めてはどうだろうか。
 「新しいスタイルの文学でないと、インパクトが無い=売れない」と出版社の連中は言うだろうが、果たしてそうだろうか。どうせ「○○賞受賞!」という触れ込みをすれば、よほど酷い作品でもないかぎり(いや、かなり酷い作品でも?)それなりのセールスが稼げるのであるから、結果は大差ないのではないだろうか。むしろ本当に読み応えのある、純文学の薫り高い作品に賞を贈った方が、「うーん、これは素晴らしい。さすが○○賞受賞作品だけある!」と読者が感じ、賞の権威は上がるのではないだろうか。だいいち、「インパクトがある」とか「可能性を秘めている」といった理由だけで賞に選ばれた新人の、どれほどが読者からの支持を得て、今も作家として順風満帆な活躍をしているだろうか。
 綿矢りさや三並夏さんより以前に、当時史上最年少で文藝賞を受賞した堀田あけみという作家がいる。受賞当時高校生であり、かなり話題になった。しかし、今はどうだろうか。彼女は作家として大成していると言い切れるであろうか。彼女の書いた作品のどれほどが書店に並んでいるであろうか。彼女の作品のどれほどが後世にまで残ると言えるであろうか。(そもそも、文藝賞出身者のどれほどが作家として十分な地位を築いたと言えるであろうか?高橋和巳くらいではないだろうか。田中康夫は遂に政党代表になったが、作家としての評価は今なお低い。山田詠美は作家として順調なようだが・・・)
 このまま放っておけば、綿矢氏や三並さんは堀田氏と同じ道を辿るようにしか思えない。事実、綿矢氏は「蹴りたい背中」以降、単行本作品をリリースしていない。まだ在学中だから執筆する余裕は無い、という事情があるかもしれないが、それは理由にはならないだろう。大江健三郎は在学中であっても話題作を次々と書いていたではないか。下手に芥川賞をとってしまい、話題になってしまった以上、下手なモノを出せない、というのが本音ではないだろうか。それは即ち、もしうかつに作品を書いてしまったら、それは下手なモノになってしまう、ということではないだろうか。もしそうであれば、それは作家にとっても出版社にとっても悲劇ではないだろうか。
 こういう負のスパイラルを防ぎたいのであれば、(彼女たちには申し訳ないが)最初から彼女たちのような新人に賞を贈らなければよいのだ。単なるインパクトや斬新さで勝負するような作品ではなく、十分に読み応えのある、メインカルチャーに相応しい文学作品に賞を贈るようにすべきだ。それが、作家にとっても、出版社にとっても、読者にとっても、よい結果をもたらすのではないだろうか。
 私がここまで言っても出版社や純文学界の人が納得しないのであれば、私は言いたい。貴方達が賞を贈った新人の作品を翻訳して、海外の人に読ませてみてはどうかと。あなた方が賞賛する作品は、海外にも恥じることなく出せるような作品なのかと。最近海外では日本のサブカルチャーに対して好意的らしいが、そんな彼等はその新人の作品とやらを好意的に捉えてくれるだろうか。
「何だかよく分からない小説だね・・・。これ書いたの、誰?」
「あ、それは中学三年生の女子生徒が書いた小説です」
「ああそう、確かにそんな感じがするね。で、これは何に載ったの?同人誌かい?」
「いや、実はそれは○○賞という、日本を代表する新人作家の登竜門というべき文学賞を受賞した作品です」
 この後、この外国人がどのような反応をするか、一度見てみたいものだ。

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