石橋正雄の「生き方上手じゃないけれど」

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zoom RSS ドラマ「契約結婚」 第7週(第31回〜第35回)

<<   作成日時 : 2005/09/02 00:06   >>

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 現在このブログに掲載している「契約結婚」のレビューは、録画したビデオを見ながら書いている。つまり、ドラマを見ている時に「何か書きたい」と思ったら、ビデオを停止してレビューの文章を書き、またビデオを再生する、ということを何度か繰り返しながらレビューを書いている。
 しかし、最近は脚本の不出来や伊吹万砂子の性格に対するケチばかりを書いているような気がした。私も本当はこんなことなど書きたくはないのだが、ドラマを見ているとどうしても気になって仕方がなく、ビデオを止めてはキーを叩いてしまう。しかも、そんなツッコミ所が次から次へと出てくるので、何度も何度も文章を書いてしまう。その結果、一話見るだけでも相当な時間が掛かり、レビューのボリュームもかなり冗長となってしまう。
 この状況を打開すべく、私はある決心をした。
「どんなにツッコミを入れたくなっても、じっと我慢してドラマを見続ける」
「ドラマを見終わったら、なるべく全体的な感想を、可能な限り端的にレビューとして書く」
 このようにすることで、ドラマを見る時間もレビューを書く時間も短縮するつもりだ。

【第31回 8/15放送分 脚本:いとう斗士八】
 今回の話のポイントは、信太郎が家を出ることを考えることと、八重子が再婚を考えていることを口にすることだろう。これらの点は原作通りではある。ただ、その理由やシチュエーションは原作とドラマではかなり異なっているが・・・。
 しかし、そういう方向に話を進めようとした結果、やはりドラマに無理が生じてしまった。徳丸恵子が福田家に押し掛けたことが直接のキッカケになって、信太郎は家を出て万砂子と同居しようと言い出すが、つい先ほどまで万砂子に離婚しようと言っていたのは何だったのか。信太郎の申し出に万砂子は喜んでいるが、これも単純な話ではないはずだ。大体、万砂子は別居したいとか(第11回参照)同居したいとか(第19回参照)、意見をコロコロ変えているのだ(もちろん本心は信太郎と四六時中ベッタリしていたいと考えているようだが・・・)。
 今さらだが、信太郎が万砂子と「互いに束縛し合わない」関係でいたいと言い出した気持ちがよく分かるようになった。万砂子みたいな女性に四六時中ベッタリいられたら、息が詰まりそうである。ああすべきだこうすべきだと理念先行めいたことをいついつまでもヒステリックに叫ばれる上に、艱難辛苦を耐え忍ぶ健気な女性の必死さをこれ見よがしに見せ付けられるのである。男なら間違いなく距離を置きたいと考えるだろう。
 しかし万砂子は美人だしスタイルも良いし性格も素直なので、他の男にくれてしまうのはもったいない。だから信太郎は契約結婚という形をとって、万砂子を手許に置こうと考えたのだ。
 こう考えると、確かにそもそものキッカケは信太郎のエゴイズムからスタートしたことには変わりない。しかし、相手が悪すぎた。余りにも教条主義的でカルティズムすら感じさせる女性だったのだ。教条のためなら私を滅するのも厭わない、そういう点で人間のエゴイズムに共感できない女性だったのだ。
 ・・・また万砂子の悪口になりそうだ。とりあえずはここまでにしよう。

【第32回 8/16放送分 脚本:いとう斗士八】
 八重子と渡辺編集局長が交際するようになった、というのは原作通りである。
 上手いと思ったのは、前回といい今回といい、渡辺編集局長が信太郎の我がままな言い分に対して、これまでのように強く言い放てなかった点だろう。信太郎に対して義父として上手くやって行きたいと思ったからなのか、はたまた不倫していることに対する後ろめたさからなのか・・・。
 しかし、今回ほど万砂子の台詞が鬱陶しく感じられた回は無かった。思わず「うるさい!」と信太郎と同時に叫んでしまった。万砂子は信太郎に大人になれなどと言っているが、私にしてみれば噴飯ものだ。万砂子は自分が信じるところの教条をかざしてばかりであり、信太郎の気持ちを全く理解していない。「信太郎さんが本当に愛しているのは、万砂子だけだ」と周囲の登場人物が何人も万砂子に諭しているにも係わらず、だ。自分の気持ちを全く推し量られることなく、一方的に子供呼ばわりされたりしたら、信太郎でなくとも、誰だって気が滅入ってしまうだろう。
 またまた万砂子の悪口だ。ああ、あと万砂子を33回も見なければいけないのかと思うと、こっちまで憂鬱になりそうだ。
 ハッキリ言って、悪女でありながらもまだ人間らしさを備えている徳丸恵子の方が見ていて安心できる。ついでに言うが、検索エンジンからこのブログに到達する時のキーワードの多くが「徳丸恵子」であるのだ。「伊吹万砂子」で検索してくる人は圧倒的に少ない。
 男の目から見ても、徳丸恵子の方が伊吹万砂子よりもずっとセクシーである。悪女と知りつつもついつい魅き寄せられてしまう、ドラマの男性たちの気持ちもよく分かる。女性にしても、万砂子よりも徳丸恵子の方に感情移入しやすいのではないだろうか。富豪の男性と結婚したいというのが多くの女性の本音であるだろうし、そういう点からすれば、信太郎から万砂子を略奪しようとする徳丸恵子の方に自分の立場を置きやすいのではないだろうか。そう、男性も女性も、このドラマにおいては徳丸恵子にどうしても注目してしまうのである。

【第33回 8/17放送分 脚本:いとう斗士八】
 見ましたか?この回の話。
 私はラストの場面で笑いが止まらなかった。そう、万砂子のベッドのシーツがまくれていたり、枕に長い髪が落ちているのを見て、信太郎と徳丸恵子が万砂子の部屋でセックスしたと勘違いしたシーンである。二人は何もしていないというのに、勝手に妄想を膨らませて一人で呆然自失となっている万砂子が非常に馬鹿げて見え、私はずっと笑っていた。

 視聴者の方の中には、八重子と渡辺編集局長との交際を認められない信太郎は子供じみている、と思っている方がいらっしゃるようだ。
 だがそれはハッキリ言って無茶というものだろう。あなたも自分の母親が夫と別れ、他の男を家に連れ込んで来た時のことを想像してみればいい。あなたは相当なショックを受けるハズだ。なぜなら、それまで自分の母親を母親としては見てきたものの、一人の女として、恋愛をしセックスをする一人の女として見てきてはいないはずだ。それだけに、自分の母親を女として見た時の戸惑いは、相当なもののはずだ。そのことは、原作にもちゃんと書かれている。
 その上、相手が渡辺編集局長である。人間には、どうやっても仲良く出来そうにも無い、考え方が理解できない、受容し難い相手というものが、必ずいるはずだ。そんな相手は、友人としてはもちろん、クラスや職場にもいてもらいたくはないはずだ。ましてそれが自分の家族になるだなんて、もう絶対に許すことは出来ないだろう。
 そういう点から、感情的になって取り乱してしまった信太郎の気持ちが、私には痛いほどよく分かる。
 そんな信太郎を子供じみていると万砂子が容易く非難しているが、理由は簡単だ。彼女自身が、不倫した母親の子供だからである。そういう意味では、義理の父親の下で(しかも恐るべき溺愛の下に)育った万砂子は、母親が実の父親でない男と結婚することに違和感を感じる信太郎の気持ちを、理解することは出来ないのではないだろうか。

 八重子と渡辺編集局長との結婚を契約結婚にすればいい、と万砂子が言う下りはもちろん原作にはなかったが、これは脚本家も「してやったり」と思ったことだろう。私は、万砂子の「してやったり」と言わんばかりの目つきが嫌でたまらなかったが。
 しかし冷静に考えてみれば、この万砂子の言い分は的外れな言いがかりである。理由は簡単だ。契約結婚を言い出したのは、結婚の当事者である信太郎である。八重子も渡辺編集局長も、別に契約結婚を望んではいない。よって、この万砂子の言い分は全くの的外れであると言える。
 だが、信太郎は気が動転していたせいか、万砂子に乗せられて思わず口を滑らせてしまった(という脚本であった)。そして、「永遠の愛があるとすれば、それは努力することによって維持されるものだ」ということに、信太郎がやっと気付くようになった。
 しかし、それが万砂子の絶対正義によって信太郎が改心した、と言わんばかりの展開が気に食わない。ひょっとして、この脚本を書いた人間はクリスチャンか?このドラマは、キリスト教の布教活動か?そもそも、「永遠の愛」などという観念自体、日本には無い文化だと私には思えてならないのだが。日本の文化にキリスト教はなかなか馴染みにくいのだ。それ故、このドラマでひっきりなしに連呼される「永遠の愛」という言葉に、心底から共感できない視聴者も多いのではないだろうか。視聴率が低いのも納得である。同時に、私がこのドラマ(特に伊吹万砂子の存在)に多大なる違和感を感じずにいられない理由も、今さらにしてようやく分かった。

【第34回 8/18放送分 脚本:いとう斗士八】
 信太郎との愛は永遠だと勝手に思い込んでいる万砂子。しかし、徳丸恵子とはセックスしなかったと言う信太郎の言葉を信じられない。その上、渡辺編集局長の妻が多額の慰謝料を八重子に吹っかけて来ても、信太郎を頼らず片桐に頼ろうとする。
 そのくせ、愛する人間を信じられなくなったらそれはもう愛ではない、という八重子の言葉に、あたかも神の啓示を受けたかのようなショックを受けている。
 もうこれでハッキリしただろう。万砂子という人間は、結局のところ永遠の愛を信じること自体に憧れているだけのイデオロギストなのである。極論すれば、キリスト教原理主義者なのである。大切なのは教義であって、相手(信太郎)のことなどどうでもいいのだ。
 そんな万砂子を信太郎が嘲弄する場面には、溜飲が下がる思いがしたものだ。よりによって、福田家の玄関に雁首をそろえた結婚失敗三人組(八重子、片桐、渡辺編集局長)。人の心はいい加減なもの、永遠の愛などある訳がない、そんな小学生でも分かるようなことすら分からない万砂子をギャフンと言わせるには、格好のシチュエーションだろう。まあ、こんなことくらいでは、万砂子の原理主義はそうそう崩れはしないだろうが。
 このあたりでそろそろ、万砂子がなぜこう頑ななまでに「永遠の愛」に拘るのか、そのバックグラウンドを示してくれてもいい頃だ。信太郎が幼い頃父親が家出したがために人の心を信じられなくなったように、万砂子にも何らかのキッカケがあったはずだ。どういうキッカケがあったか、そのネタを作ろうと思えば作れそうである。果たして、ドラマ制作スタッフは、万砂子の「永遠の愛」の真実を提示してくれるだろうか。恐らく、そんなことまで考えてはいないように思えてならないが・・・。

【第35回 8/19放送分 脚本:いとう斗士八】
 今回も「永遠の愛」真理教のオンパレードで呆れるやら情けないやら。
 父親にも捨てられ、母親にも捨てられ、俺は一人ぼっちだ!―――と嘆く信太郎の背後にしがみつく万砂子。そして、信太郎のことを真剣に愛している、ずっと永遠に愛し続ける、とわめき散らし始めた。「こんな女なんかにずっと付きまとわれると、たまったもんじゃないぞ」と思っていると、なんと信太郎は万砂子の言葉を真に受けて、万砂子を強く抱きしめた!そして程なくベッドイン・・・。このシーンの間、私は呆れてずっと笑い続けていたことは言うまでも無い。
 さて、遂に万砂子が妊娠してしまった。今後、大波乱の展開を迎えることは容易に予想できるが―――。しかしドラマの展開上、妊娠を迎えるのが余りにも早く思えてならない。まだあと残り30回もあるのだぞ。ちなみに原作では、伊吹まさ子が妊娠するのはストーリーもかなり終盤間近になってからである。いったいどうやって話を引っ張るつもりでいるのだろう?ドラマの制作スタッフは・・・。

オマケであるが、八重子と渡辺編集局長との間について、原作ではどうなっているかを知りたい方は、例によってこのページの下をご覧頂きたい。


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【八重子と渡辺との間は、原作ではどうなっていたか?】
 福田家には八重子と信太郎しかいない、という設定は、原作でも同じである。ただ、ドラマでは福田家は資産家となっているが、原作では逆に貧乏という設定だった。
 寧ろ、裕福なのは渡辺工場長の方なのだ。そして、八重子が渡辺の裕福さに魅かれて、渡辺と再婚することになった、という展開になっているのである。そこには、「永遠の愛」などというものは欠片も見当たらない。
 また、ドラマでは渡辺編集局長は人目もはばからず信太郎に土下座していたが、原作ではそんなことは全く有りえない。渡辺工場長はもっと厚顔無恥なタイプであり、土下座などとてもしそうに無い人物なのである。

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