石橋正雄の「生き方上手じゃないけれど」

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zoom RSS 立原正秋 「剣と花」

<<   作成日時 : 2005/08/21 18:28   >>

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 「剣と花」は昭和四十二年の一年間、「週刊現代」に連載された作品である。

 「剣と花」というタイトルの意味であるが、「剣」は作品において何度も描かれている剣道のことを指していることは明らかである。一方「花」であるが、こちらは目立つようには描かれていない。風景描写の際、さりげなく花について描かれている場面が何度か登場するくらいである。
 「剣」が強さ、「花」が美しさのシンボルであることは何となく想像できるだろう。また、「剣」が男、「花」が女を象徴しているとも解釈できる。さらには、「剣」は男性器、「花」は女性器を暗喩しているとも解釈できそうだ。
 そう考えると、「剣」というのは強さを誇示する男性を意味し、「花」というのは控えめな美しさを持つ女性のことを指している、ということになるのかもしれない。そう、「剣」は文三郎、「花」は千代子のことを意味しているのだろう。そして「剣」が「花」に刺さった時、花弁は鋭い刃によって切り刻まれ、剣は花汁によって錆びてしまうのかもしれない。

 この小説は、これまでこのブログで取り上げてきた立原作品を読んだ方なら、もうすっかりお馴染みとなっている設定の下に描かれている。
 舞台は鎌倉。大豪邸に住む多数の家族。主人公の男は類い稀な精神と才能の持ち主。彼はなぜか多くの女性から慕われ、そしていずれとも肉体関係を持ってしまう。彼女たちはやはり鎌倉で水商売を営む女性。しかし主人公が本当に愛しているのは貞淑な女性、しかも自分と近親の関係にある女性である。金や情欲に溺れる人間は卑しく、そうでない人間は気高い。しかし、そんな気高い人間はやがて滅び行く運命に晒される―――
 こう書くと、知っている方ならもうピンと来ていることだろう。そう、この「剣と花」は、過去に書かれた「薪能」や「鎌倉夫人」と設定がかなり似ているのだ。
 敢えて言うなら、「薪能」や「鎌倉夫人」を通じて書きたかったことを、もっと明快に、かつもっと流麗に書き直した作品が、この「剣と花」なのだろう。
 この「剣と花」という作品は非常に長い。「鎌倉夫人」の二倍半はあるだろう。
 しかし、立原正秋が描きたい世界を表現するには、このくらいの長さが丁度よかったようだ。ストーリー展開は非常に穏やかであり、無理が感じられない。また、それまでの作品で散見された荒唐無稽さがかなり抑えられている。そして文体にも優雅さが感じられるようになった。
 そのような訳で、私はこの作品は傑作だと思っている。優雅さや穏やかさを愛する、大人のための小説であると思う。

 この作品にはかなり多くの人物が登場するが、各人物のポジションやキャラクターが明確に示されているので、誰が誰であるか迷うようなことは余り無いだろう。
 登場人物の中でも重要なポジションを占めているのが、もちろん主人公である石津文三郎と、石津家に住む田代千代子である。
 文三郎の父である武一郎と、彼の後妻である田代雪子との間に生まれたのが、田代千代子である。そのため、文三郎と千代子とは、腹違いの兄妹にあたるのだ。

 思うに、立原正秋がこの作品を通じて描きたかったテーマは、儒教で言うところの「仁」と「義」ではないだろうか。「仁」とは即ち「他人に対する優しさ」であり、「義」とは即ち「人間の欲望を抑制することを、尊びかつ守ろうとすること」である。そういった「仁」と「義」を重んじた作法が武士道であり、その武士道の精神を育むための修養が剣道なのである。
 人を愛し慈しむこと。その精神は大切に守り続けられるべきだろう。しかし、己が愛する人を守るためには、強さが必要である。その強さは、愛する人に襲い掛かろうとする悪者を撥ねつけるために必要とされる強さだけではない。愛する者を守ることを尊ぶ信念、また、愛する者を守るために、己の欲を抑えようとする信念、そういった信念を貫き続けることの強さが求められるのである。
 「仁」と「義」を合わせて「仁義」と言うが、「仁義」という言葉は今ではすっかりヤクザが見栄を張るための決まり文句に成り下がってしまった。孔子も草葉の蔭で泣いていることだろう。(もっともこの作品においては、ヤクザはコテンパンに叩きのめされているが)

 「薪能」と同様に、この「剣と花」でも近親の男女が愛し合うことは滅亡に繋がる、という考えが示されている。どうやらこれは、近親相姦というタブーに対する畏怖だけではなかろう。寧ろ、男と女が真剣に愛し合ってしまうことからもたらされる危機を示しているようだ。お互いを本気で愛し合うということは、それぞれが他の異性との交わりを決して許さないことを意味している。しかし人間の煩悩は、往々にして他の異性からの誘惑を断ち切ることが出来ない。そのため、もし一方が煩悩ゆえに他の異性を愛してしまったなら、他方はその相手を決して許すことが出来ないだろう。相手を殺して自分も死のうと思うかもしれない。真剣な愛というのは、そういう精神の極限のことではないだろうか。
 その男女に同じ血が流れているのであれば、お互いがより近しい精神の持ち主であるが故に、愛し合ってしまったならもはや互いを分け隔てることが出来なくなってしまうかもしれない。そのため、真剣な愛である故の危機を、より高めることになってしまう恐れがある。だから、近親相姦はタブー視されるようになったとも考えることが出来る。ある程度他人どうしの男女の方が、煩悩ゆえに浮気を起こしても、両者のいざこざによって被るダメージは小さくて済む、ということなのだろうか。

 ややこしい話を延々と書いてしまったが、この作品を読むのにそういった分析的姿勢は必ずしも必要ではない。作品中に登場する数多くの男女たちの愛と別離の姿を見ることで、しみじみとしたペーソスを味わうだけでも、この作品を読む価値は十分にあると思う。

【入手情報】
 講談社文庫として刊行されていたが、現在では絶版である。
 古本屋で見かけることは少ないものの、ごく稀に廉価で売られていることがある。私が入手した講談社文庫版は、ブックオフで上下共に105円で入手することが出来た。


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