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私が高橋三千綱の名を知ったのは中学生の頃である。知ったと言っても、小説家として知ったのではない。たまたま買ったマンガ雑誌「コミックモーニング」に連載されていた「こんな女と暮らしてみたい」の原作者としてである。高橋氏は小説作品を書く一方で、数多くのマンガ作品の原作を書いているのだ。 この芥川賞作品「九月の空」も、言うなればマンガのような話である。「少年○○」とか、「ヤング○○」といった雑誌に載っていそうなマンガの話である。 だとすると、この「九月の空」はマンガ小説ということになってしまいそうだ。私がいつも揶揄している、ライトノベルということになってしまいそうだ。 それらのことを百も承知で言わせて頂こう。 この作品は非常に面白かった。 高橋氏はとにかく文章が上手い。読みやすい、分かりやすい、そして、表現が非常に鮮やかである。 そんな高橋氏の真骨頂と言えるのが、剣道の試合を描くシーンである。私は剣道をやった経験が全くと言っていいほど無い。もちろん、剣道の細かいルールや専門用語を知りはしない。だがそんな私でも、この剣道の試合のシーンには息を呑んだ。小説なのだから、むろん文字しかない。イラストも無い。だのに、主人公の勇が防具を着て竹刀を振る姿、試合の相手の姿、そして試合会場の様子が、ありありと鮮やかに眼に浮かぶのだ。 これが冒頭から間もない場面で繰り広げられるのである。ここを読んで心を惹かれた人は、もう完全に高橋氏のペースに引き込まれてしまっているのだ。 月並みな言い方ではあるが、この作品で描かれているのは、思春期の少年のみずみずしい姿である。 人によっては、この作品のストーリーを、「男の妄想が作り上げたご都合主義だ」と言うかもしれない。そういう点が、この作品をマンガチックなものにしているかもしれない。 だがその一方で、勇の考えや態度に共感を持つ人も多いだろう。 勇は非常に克己の精神に飛んだ少年である。
いかがであろう、この勇の克己の精神。少しでも自分を高めようとする姿勢に、憧れにも似た共感を持つ人は少なからずいると思う。 その一方、勇は女性に対して性の意識を持ち始める。しかし、性に対して関心はあるものの、まだそれを自分自身のこととして受け取れるまでには到っていない。性という未知の世界に対する怖れがあるのだ。そういう怖れがある故に、周囲の女性たちに対して大胆な行動を取ることが出来ないのだ。 「こんなにたくさんの女に囲まれて何もしようとしないなんて、あり得ないんじゃないか?」と言っている男性の方。あなたがまだ童貞だった頃のことを思い出して頂きたい。女性に声を掛けるだけでも、かなりの度胸が必要だったはずだ。まして女性の身体に手を触れるなんていうのは、高所から飛び降りるような覚悟が必要だったはずだ。かといっていざ女性の方から近寄られると、照れや恥ずかしさや戸惑いや恐怖で、何となくはぐらかしてしまったりしていたはずだ。 こういう、なかなか自分に素直になれない思春期の姿が、この作品では非常にみずみずしく描かれている。そして、勇が松山に対して、女性らしさを見出してゆくとともに、真の愛情の何たるかを知るようになるのだが、そのプロセスが非常に自然である。わざとらしさが全くない(本当の話、主人公がほぼ同年齢であるにも係わらず、「螢川」とは対照的な作品だ)。 真の愛情が人に力を与える。こうして文字にしてみると、歯が浮いたような美辞麗句で書いた本人が恥ずかしくなるが、それが真理であることを多くの人たちが実感していることもまた事実である。それだけに、このようなありふれたテーマであっても、小説作品としてきっちり描くことによって、人の心に強く響いてくるのである。それがまさにこの、「九月の空」という作品だと思う。 とにかく面白い作品だった。何から何までよく出来た作品だったと思う。 破天荒な言語表現に挑んだり、奇想天外なストーリーの創出に腐心したり、常識や倫理を大きく逸脱するような設定作りに励んでいる、小説家志望のあなた。それが斬新で文学的な小説だと思っているあなた。まずはこの「九月の空」のような作品を、一本きっちり作ってみてはいかがだろうか。自省の意味も込めて言うが、これは非常に難しい作業だと思う。 お楽しみ頂けましたか? |
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